割れ鍋に綴じ蓋【ちょっとした雑談】

先日いつもの寿司屋のカウンターで食べていたところ、

隣の席に座った女性に

「その唐揚げはメゴチですか?」

と聞かれ、それがきっかけでしばらく歓談しました。

あちらの娘さんがペルー人と結婚したが、その人は不法滞在だったという話や、

文学部卒と言うことで、最近の言葉遣いがおかしくなっていることを憂いているという話、

孫娘さんが奈良女に通っているという話

など、

様々なお話を聞かせていただき、とても楽しい時間を過ごすことが出来ました。

 

70代ということでしたが、豪快にビールを飲んで溌溂と話していて、若々しく元気な方でした。

あのように見ず知らずの人と思いがけない歓談ができるのも、外飲みの楽しみの一つだと思います。

そのときに伺った内容の一つとして、

「割れ鍋に綴じ蓋」

という諺を賜ったので、今回はそれについて少しお話させていただきます。

 

 

このことわざの意味を調べてみたところ

 

「割れ鍋に綴じ蓋」

…どんな人にも、それにふさわしい配偶者があることのたとえ。

 また、両者が似通った者どうしであることのたとえ。

 

だそうです。

江戸時代には成立していたそうです。

 

「割れ鍋」は、ひびが入った鍋で、破れ鍋とも。
「綴じ蓋」は「閉じた蓋」ではなく、修繕した蓋のことで、「綴じる」は縫い合わせるの意。

 

どちらも

「完璧ではないが、なんとか見繕っているもの」

で、そのくらいが互いに見合っていてちょうどよい、ということです。

 

お話しいただいた内容に即すると、

あちらの娘さんとそのペルー人の夫を「割れ鍋に綴じ蓋」と称し、

身内を謙らせながら、微笑ましく見守る母親としての様子が窺えます。

 

 

また、このような内容から分かる通り、

目上や他所の夫婦に対して使うと少し失礼に当たります

(目上の人を割れ鍋とは称せませんね)。

 

そこに関しては注意が必要です。

 

「お似合いだね」くらいの意味合いと考えると自然に使えるかと思います。

 

ちなみに、このことわざに類似したものとしては、「打ってつけ」や「相棒」などがあります。

これらも、それぞれ由来や語源があるので、もしよかったら調べてみると面白いかもしれません。